シグルイと原作比較 其壱
はじめに
シグルイはマイナーな漫画と思いきや、店頭に置いてあるなど、最近注目されてきている漫画である。そして、ひとたび読めば、「内臓バックリ脳漿ドピュッ」の凄惨な残酷漫画の虜になってしまう、違う意味でも恐ろしい漫画である。
ところで、“駿河城御前試合”といえば、“シグルイ”の原作になった本である。シグルイを読んで、「江戸時代初期の武士達はこんなに残酷だったのか・・・え・・・ぇ・・・こんなに残酷だったの???(汗)」と思った私は、まず原作を読んで“シグルイ”と残酷具合を比較検討してみることにした。
*注意点*
私は小説を読んだので、試合の勝者、結末を知っています。ネタバレ以外のページでは晒しませんが、もしかしたら暗示してしまったりするかもしれないので、絶対に結末を知りたくない人は、以下を読むのを遠慮した方が身のためです。しかーし、漫画と小説は大筋が同じでも、結構違うところも多いので、もしかしたら最後の試合の決着も異なるかもしれないのです。だから、比較・相違点に興味のある方は、お奨めしますよ!!
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シグルイとは・・・
初心者のためにシグルイを紹介いたします。
シグルイはチャンピオンREDコミックス(秋田書店)で連載されている漫画です。
作者は山口貴由氏で、私は存じ上げませんが、過去に『覚悟のススメ』や『悟空道』
などを描いています。(Wikipediaはこちら↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E8%B2%B4%E7%94%B1山口貴由)
2003年8月から連載が始まったシグルイは、1956年に南條範夫氏が書いた
駿河城御前試合(徳間文庫 な1−45 ¥876+税)を原作とした江戸時代初期の凄惨な
“残酷漫画”です!!少しだけ、内容をお話しますと・・・
江戸幕府三代将軍家光の弟忠長が、―彼は非常にCRAZYでDANGEROUS
なのだが・・・―、居城の駿河城の御前にて11の“真剣試合”を開催させた。
真剣試合というのは、“真剣勝負”という言葉にあるように、木刀で腕を競い合うの
ではなくて、鋭い刃のついた、当然骨まで両断できる真剣をもって殺しあうことである。
普通は、素晴らしい腕を持った剣客に殺し合いをさせるなんて無謀でもったいないこ
とはしないし、やるとしても、真剣勝負を1.2試合くらいなものだが、江戸
時代の臣下はまことに君主に忠実だったから、狂った忠長の命に従い御前で真剣
試合をさせた。大勢の家臣、諸侯もこれを上覧した。
その第一試合目が、隻腕の男と盲目で跛足の男という奇妙な取り合わせだった。
そして、さらに隻腕の男藤木源之助の脇には彼の師匠である虎眼の娘、
若く美しい三重が、盲目の男伊良子清玄の脇には虎眼の元愛妾、年増の凄艶な女
いくが控えているところから、数ある試合の中でも一番最初に一番注目された試合
だったことだろう。 この奇妙な二人の決闘が、今まさに行われようとしている
ところに、過去の因縁が頭をもたげ、二人の出会いから真剣試合をするに至るまで
の凄烈な回想が始まった。…つづきは漫画で…
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シグルイを読んだ動機
私の好きなサイトの頂点に位置するのが“朝目新聞”様であるが、
その“朝目”に、よくシグルイパロがUPされている。その中でも“シグルイポンポ○リン”
がネタを知っているうちわの人たちで盛り上がっていて、私もそれを見るだけで
噴き出していた。しかし、そんなに楽しいなら、元ネタが知りたいと思うのが人情である。
口パックリや、ちゅぱっちゅぱっなど、気にならないはずがなかった。
何が起こっているのだ!!?漫画史上革命が朝目で起こっている。私は
自然に「しぐるいぐるいの旅」に誘われたのである。
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シグルイを読んだ後、すぐに原作を読んだ動機
7巻が10月20日に発売されて読み終わり、息をついていた頃に、
ふと原作が読みたくなった。原作は活字だらけの小説。このグロテスクな
血みどろ漫画の原作とは、どれほどの描写で書かれているのだろうと疑問に感じた。
私は、本はそんなに読まないけど、結構活字好きな人間である。そして、
漫画でもドラマでも映画でも、原作が断然いいと思っている人間である。本と
いうのは自分の好きなイメージで物語を自由に進めさせてくれる。勿論、筋道は
作家がリードしているけれど、彼らが書けない行間に自分達の想像を乗せて展開
していくことができる。顔、声色、性格、情景、ありもしない世界など、
大体構成された幹に枝やはっぱをつけるのは読者の想像力であり、それが
面白いから本を読む。 ところが、映画や漫画で緻密に設定がなされ、人間が
知覚の大部分を頼っている視覚に訴えるようなことをすると、個々のイメージが阻害される。
自分のイメージが描けない、或いは自分のイメージと異なる。映画監督が素晴らしくて、
自分のイメージとマッチした壮大なスケールの映画を作ることもあるが、
それはそれ、これはこれ。
よい小説はそれ以上に豪快だ。偉大な作家の豪快な作品は、読み手を
全く裏切らない。原作がよければ、二次的作品はまぁまあ良いものだ。
監督が良ければ、受け渡し人の才能があれば、二次創作・二次作品も
それなりに良くはなる。 では、シグルイの場合どういう小説が原型
となっているのか。また、御前試合に臨んだ藤木と伊良子の決着はいかに
・・・その結末を早くも知ってしまうために、私は“駿河城御前試合”を探しに本屋へ行った。
そして、本屋に行ったのだが、南條範夫氏はもうお亡くなり
になっているからか、在庫が少ない。駿河城御前試合は絶版になって
はいなかったが(注文すれば買える)、大きな本屋に行かないとなかった。
ようやくジュンク堂でそれを見ることが出来た。新装版があり、
手に取るとそれはなんと表紙がシグルイのワンシーンではないか。なるほど、
ニヤリ。4巻目の南條氏と山口氏が握手している写真が思い浮かんだ。
私は、その本に手を触れ、裏を見た。876円。どうしても読みたい。
なんとしても読みたい。次の瞬間、私は1回カウンターのレジで財布から
小銭を取り出していた。残金は10円に満たなかった。なんという不幸。
しかし、なんという幸福。二つ真逆は紙一重にして、同時に俺の歯車を揺るがす。
現代人も、否、この漢も、シグルイである。
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シグルイと原作の面白さの度合と表現方法の違い
結論から言ってしまいたい。つまり、どちらが面白かったかを。
しかし、早々結論を言ってしまうと、最後まで読まない人が早とちりし誤解をするので、
徐々に説明していこう。
漫画を愛し、活字も愛している人なら必ず理解いただけると思うが、漫画の面白さ、
小説の面白さは同じではない。先ほども述べたように、小説は読者の想像も
評価の尺度に入ってくる余地が大きいが、漫画は緻密にて様態の想像をあんまり許さない。
だからこそ、漫画には漫画のリアルがある。彼らの画風は、油絵に劣るだろうか?
決して劣らない。よい漫画(に限りw)は、一枚の絵で多くを想像させる名画よりも
内容は分厚く、漫画家の伝えたい主旨というものは、画家と同じかそれ以上に
深いと思う。彼らの“努力”による“力作”はゴッホやピカソの名画の出来に
等しいとさえ、私は思う。
要するに、シグルイの漫画は、“残酷”というものが非常に視覚的に
伝わってくる。血液、大腸、糞尿、脳漿、ドロドロした気味の悪いものが、
作者の筆を通して大変リアルに伝わってくる。そして、“死ぬ”ということが、
残酷なのではなくて、その“死に体”が残酷なのである。死体の凄みがあってこそ、
読者は好きなキャラが死なないことを祈り、自分が死ぬ姿を想像し、
「残酷だな。自分はまだ死にたくない。斬られて死ぬとこうなるのか」などと、
考えさせるのだ。また、現代とはまるっきり違う、江戸時代初期の文化背景(自然、
建物、伝統等)を見せつけられ、登場人物の表情、言動から、彼らがそれぞれどのような状況
にあって、どういう気持ちの変化が起こっているのかを、刻一刻と変わっていく時の
中で把握することが出来るのだ。
一方で、小説の表現方法はどうかというと、駿河城・・・は非常に淡々としているのである
。文章がスパスパしていて、官能的な残酷シーン、ドロドロがない。
“シンプルイズベスト”の形を取っているのだ。私は最初、この小説に不満を感じていた。
情熱的で淫乱、狂気の沙汰で阿鼻叫喚、そういうのを絶対的なものとして、原作を想定
していた私は、極端にスマートな文章を読んで唖然としたのである。そして、
藤木と伊良子の真剣試合は11試合あるうちの最初の1試合目“無明逆流れ”
として書かれている短編であり、その頁数39ページである。まさか、原作の39
ページをそのまま漫画化するのに7巻も費やしているのか!!?そのまさかは、
次章でお話しするが・・・、実際この一話を読んだ時、漫画の勝ちだなと思った。
がしかし、何話か読み進んだ時に、この小説の捉え方が変わっていった。
ストーリーが実に面白いと思うようになったのだ。“駿河城御前試合”は、
“寛永御前試合”という講談のもとになった事件(実話であるかは不明)であるそうで、
作者の全くの創作ではないらしいが、ストーリーの構成が整っていて、
それが淡々と語られる様はなんとも言えず痛快なのだ。その単純さは、話の最後で
ある試合の決着に至るまで続き、その結果のみを伝える様が、残酷に思えてくるのだ。
プライド、女(恋敵、邪恋)、変態気質、こんがらがった人間関係の中で、刃傷沙汰が
あって、ついに駿河城での真剣試合に至ったけれども(真剣試合は決して忠長の
強制ではないのだ)、最終的にはどちらかが無残に斬られ、斬った方も虚無となる。
あるいは、相打ちで果てる(小説の中では結局、彼らは全員**のだが・・・)。
斬られたら、腸や脳漿、血を噴き出して、後は腐っていくけど、それはただの無機物。
腐敗する以外は、何の感情もない無機物としての死体。人を殺し生きている人、
人を殺さないけど生きている人、けれど生きていてもこんなものさ、いつ死ぬか、
そんなこと誰にもわからないっちゃ☆―そんな虚脱感を味わう、ストレートで淡々
とした書き方である。
というわけで、両者はとても面白い。だが、私がより面白い方を選ぶと
するならば、シグルイである。やはり、描写が凄まじいこともあるが(ドロドロ
が好きなのは私の好みの問題である)、なんといっても内容である。小説の39
ページの内容を漫画の7巻まで、どうあがいたって延ばせないだろう。
漫画には小説に書かれていないことがふんだんに描かれているのである。 シグルイ
は単なる二次的産物ではなく、創作的な面が色濃い。
私の評価からすれば、駿河城御前試合はシグルイとイコールなほど面白いが
(8巻以降がどうなるかは知らないがw)、原作の第1章(のみ)よりはシグルイの方が
断然面白い。漫画好きで残酷モノがNGでなければ、絶対に読んでみるべき漫画であり、
小説も読者をがっかりさせない代物である。
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