■はじめに
ナイル河の毎年繰り返される増水がもたらす氾濫によって、砂漠のただなかに人類の生存可能な土地を創出し、人間の生存に必要不可欠な水を提供した。定期的な増水は、生活のリズムを作り出した。
周辺地域から相対的に孤立した環境は、政治的な統一を容易にし、強大な王権を育み、独特の文化を育てあげた。
「エジプトはナイルの賜物」・・・エジプトはナイルによって創成された土地
ナイルの増水が提供した、『下流域に生活する人間に有利な条件』
○増水の量的かつ時期的な規則性の高さ
3000キロ以上にわたる緩勾配のため、水源地帯での降水量の差が平均化される。
○主要作物である麦の成育サイクルとの整合性
増水後の十分水を含んだ沃土は、麦の播種に最適→冬の水分の補給なくしても麦の成育が可能
ナイルを中核とする恵まれた自然環境が、古代エジプト社会の構造をどのように規定し、独特な文明の形成に寄与したか。→政治、経済、社会、宗教、文化
■古代エジプト文明の構造
◆政治
強力な中央集権国家がいち早く形成され、長期にわたって維持され続けた。
・・・砂漠に画された平坦な地形→軍事力による征服と統一が比較的容易。
ファラオ・・・創造神が天地創造時に定めた宇宙秩序(マアト)の維持更新。
→自然と人間社会との友好的な関係を維持し、人間社会の繁栄と安寧を確保する。
規則的なナイルの増水・・・自然との友好の維持に成功していることを人々に確信させる。
→強力な王権が確立する。
ファラオをめぐる理念・・・
王は神性を有し、神とみなされ、しばしば「良き神」と呼びかけられた。⇔しかし神そのものではない。
王は創造神の持つ三つの能力が備わっているとされた。→権威ある発言(フウ)、認識(シア)、呪力(ヘカ)
ファラオの資格である神性は、血統によって伝えられる
→王位は父から子へ世襲されるべき→→→王位継承を正当化するオシリス神話(ナイル増水の象徴)
これらの理念がファラオの公式名に集約される。
ホルス名・・・王がホルスとして王位の正当な後継者であること
二女神(ネブティ)名・・・王が上下エジプトの守護女神の化身として、エジプト支配の権威を有すること。
黄金のホルス(ホル・ネブウ)名・・・セトに対するホルスの勝利
上下エジプト(ネスウト・ビティ)王名・・・王は上・下エジプト王国の王を兼任した存在。国土の所有者。
→以上四つの公式名は新王の即位に際して宣布される。
ラーの子(サ・ラー)名・・・太陽神ラーの血統を受け継いだ、創造神の役割を演ずるにふさわしい存在。
→王の誕生時に命名される。
上下エジプト王名(即位名) カルトゥーシュと呼ばれる楕円形の枠に囲まれて記される。
ラーの子名(誕生名) ・・・通常誕生名が王名として用いられる。
宇宙秩序を維持するというファラオの機能・・・
人間社会の秩序を維持する政治的機能・・・行政→→官僚
人間社会と自然の友好関係を維持する宗教的機能・・・祭祀→→神官
◆経済
ナイルの増水を巧みに利用した貯留式灌漑の創設
国家による再配分経済の掌握
・・・主要な経済活動は国家によってなされた。
農産物・・・→余剰分を貢租として国庫に集められ分配
採石・採鉱・・・→夏季の農閑期を利用して賦役労働に徴発された農民を主力とした遠征隊を組織・派遣
外部の産物・・・→交易遠征隊
砂漠に画された環境→ 国家による交易独占
ファラオの権力基盤の強化
商業活動を担う商人層は存在しない→官僚(および神官)によって遂行された。
◆社会
商人層の欠如
軍人層の薄さ
大人層と小人層という社会層の区分
官僚養成のための教育
軍人・・・伝統的な官僚重視のため軽視され、軍隊の重要な地位は軍隊勤務の官僚に握られた。
→外人(とくにリビア人)傭兵に頼るようになる→権力奪取→末期王朝時代→文明の衰退
大人層(ウル)と小人層(ネジェス)
大人層・・・支配階級、官僚・神官が属する、ヒエログリフの読み書き能力を習得している 教育の有無
小人層・・・被支配階級、職人・農民が属する、ヒエログリフの読み書きを習得していない
・・・忠実な官僚を養成しようとした王が、小人層の富裕層の子弟を教育へ勧誘することも可能。→大人
エジプトの教育・・・官僚養成のための教育
中央集権国家再建のための忠実な官僚養成という国家目的→教科書に工夫をこらすなど
国家が教育に干渉する。
◆宗教
多神教(特異な動物信仰を含む)
来世信仰
多神教・・・人知を超えた力を持つと認めた存在を神とみなす
強力と判断された神は地域の主神→州の守護神・・・天地創造神
王朝の出身地の神、王朝が守護神として採用した神→国家神・・・神々の王の地位
動物起源の神・・・ナイル河谷や周辺砂漠にすむ動物にとくに神の力を認める
神の姿の擬人化表現の普及→人身に動物頭を備えた姿で表現
来世信仰・・・来世が現世と質的に同一であり、現世に対する強い執着から生まれたもの(ナイルの規則性)
ファラオの周辺で形成→永生のための準備→葬祭慣行→来世を望む者すべてに利用される
供養の継続の確保・・・生者同様死者の生存にとっても必須の食料を継続的に備える
◆文化
来世信仰から生まれた美術
王権に奉仕するものとして成立した文学
実用性を追求した科学
アルファベットの起源となった文字体系
石材建築の発達・・・永生を得た死者の住居である墓の建築材としての地位を確立
不死の存在である神殿にも適用(⇔現世の生活のための建造物は日乾煉瓦造り)
文学・・・教訓文学、世俗文学、讃歌
科学・・・実際の生活に有益な科学的知識の蓄積←背後にある法則や定理の追求に及ばない
薬物や外科手術による医学的処置の発達
天体観測技術・・・ナイルの規則正しい増水→ソティスの朝出に注目して1年365日の暦を作る
算術・・・国営土木事業の工事量の計算、労働者への食料配分
幾何学・・・貢租量決定のための土地測量
文字の概念・・・母音を無視し、子音のみを表記→表音文字中に単子音文字が含まれる
単子音文字の使用・・・→シナイ文字・・・→フェニキアの「アルファベット」
■古代エジプトの歴史展開
◆時代区分
時代区分の基準・・・王朝←文明の盛衰と強大な王権の有無とが相関(「パレルモ年代記」「トリノ王名表」)
『エジプト史』・・・前三世紀初頭、エジプト人神官マネトが、神殿に保管されていた歴史記録をもとに
ギリシア語で記したもの。統一国家の出現からアレクサンドロス大王のエジプト征服までを31の王朝に区分。
一時代一王朝の原則→並立関係が無視され、王朝の開始時期が前後するなどの不備。
先王朝時代(統一王朝出現以前の、ナイル河畔での定住生活開始以降の先史時代)
初期王朝時代(第1−第2王朝)
古王国時代(第3−第6王朝)
第一中間期(第7−第10王朝)
中王国時代(第11−第12王朝)
第二中間期(第13−第17王朝)
新王国時代(第18−第20王朝)
末期王朝時代(第21−第31王朝) (第21−第24王朝を第三中間期とする考えもある)
◆先王朝時代
○メムリダ文化・・・前5500年頃 下エジプト最古の新石器文化
○ファイユームA文化・・・前5000年頃 ファイユーム低地
○バダリ文化・・・前5000年頃 上エジプト
◇先王朝文化
下エジプト・・・標高の低いデルタ地域での調査困難→砂漠縁辺部のみから知る→文化の解明不十分
上エジプト・・・墓地遺跡の発掘が中心・・・豊富な副葬品から比較的内容解明
○ナカダ文化(T〜V)・・・前4000年頃 ナカダ遺跡 上エジプト全体に広がる
ナカダT文化・・・生業としての農耕の完全な定着。銅の使用。交易権拡大。石製容器。「交線文土器」
ナカダU文化・・・灌漑農耕。大型集落の出現に伴う墓地の大型化。階級分化。部族国家「原王国」
ナカダV文化・・・文化の北への浸透。北部(デルタ)への人口移動。「原王国」→「上エジプト王国」
→下エジプト征服→統一国家の実現。
○第一王朝・・・初代の王メネス→上下エジプトの境界近くに堤防を築いてナイルの流れをそらし、
王都「白い壁(のちのメンフィス)」を建設したとされる。
メネス・・・ナルメル王?←下エジプトに対する決定的勝利を浮き彫りで刻んだ化粧版を神殿に奉納。
次王アハ王?←サッカーラ最初の王墓を作った。統一を最終的に実現した第一王朝初代の王
◆初期王朝時代(第1−第2王朝) (前3000年頃〜)
・・・ファラオを頂点とした古王国の中央集権国家確立へ向けての体制整備と強化の時代
王は神の化身であるとする新王理念を権威の主張のよりどころとしている→「ホルス名」「二女神名」
⇔王は有力首長の第一人者にすぎない
→→王権側の努力:新王理念に相応しい地位を獲得し、新王理念の現実化を達成する
メンフィス遷都・・・下エジプト支配+有力首長の影響力からの脱却の試み
遠征・・・国土統一を強固なものとし、対外交易を王家の独占事業とする
第一王朝第五代デン王 家畜調査→貢租量決定、官僚制度の整備、「上下エジプト王名」の採用。
「ホルス名」→「セト名」に変わる・・・王権強化に抵抗する上エジプト有力首長の反撃
→カーセムケイの下で「ホルス名」が確立→新王理念に相応しい国家体制
◆古王国時代(第3−第6王朝)(前2650年頃〜)
古代エジプト史上最初の繁栄期
・・・創造神が天地創造時に定めた宇宙秩序(マアト)が地上において実現された理想の時代
○第三王朝第二代ジェセル王によってサッカーラに造営された階段ピラミッド
・・・王墓独自の型式の創出。王権確立を告知する記念碑。建築材料として初めて石材が使用。
階段ピラミッド・・・故王が天の神々の一員に加わるための昇天の手段
+周囲の葬祭殿、石材で模倣した王宮・祭殿、マスタバ墳、倉庫、周壁
「黄金のホルス名」を王の公式名に加える。
○第四王朝(前2578年頃〜)
階段ピラミッド→真正ピラミッド・・・方錐形・・・太陽光線の具象化←昇天の手段が太陽光線となる
⇔石積み技術の問題・・・スネフェル王の「屈折ピラミッド」「赤いピラミッド」「異形ピラミッド」
大ピラミッド・・・次王クフがギザに造営した、全ピラミッド中最大で最高の技術水準を誇るピラミッド
+三基の王妃のピラミッド、舟坑、王族・貴族のマスタバ(石材建造)
整然たる配置・・・ファラオを頂点とする国家体制の身分秩序を反映
国家の要職・・・王族に独占
→→四代カフラー王、六代メンカウラー王のピラミッド・・・石積みの正確さに明らかな低下
ピラミッド・・・ファラオが、死後も国土の繁栄を見守ってくれるとの確信と期待を込めて作る神殿
→宗教的熱情→職人の熟練した技と膨大な労働力の投入→大ピラミッド建造
・・・→熱情の持続困難→建造技術、規模の低下
○第五王朝(前2463−2322年頃)
『ウェストカー・パピルスの物語』
・・・太陽神ラーが、神官の姿を借りてその妻に産ませた子=初代の三王→「ラーの子名」定着
太陽神の化身<太陽神の子・・・太陽神ラーに直接繋がる血統が正当性の根拠→太陽神殿
ピラミッドの規模も小型化、建造技術も粗雑⇔供養のための葬祭殿と流域神殿は拡大複雑化
ピラミッド都市・・・供養の儀式や建物の維持管理に従事する神官、官僚、職人が居住し、
流域神殿と並んで設置され、→必要物資を確保する流通システムの整備
官僚機構の肥大化、細分化の弊害→「上エジプト長官」職の新設
○第六王朝(前2322−2145年頃)
活発な対外交渉
採石、採銅、杉材、交易ルートの安全確保、軍事と交易→遠征
『ピラミッド・テキスト』・・・第五王朝最後の王ウナス王以降、王の葬祭において誦されるもの。
それまで無銘だった墓壁に記されるようになる。
官僚機構の肥大化と効率の低下・・・ピラミッドの建設と維持
地方官僚による地方分権化の進行←地位の世襲を王が追認→王の任命権、有名無実化
中央集権体制の急速な崩壊
◆第一中間期
「封建時代」・・・各地に州侯が自立
下エジプト、王とメンフィスの周辺→一時的に無秩序状態「社会革命」(『イプエルの訓戒』ライデン)
○第七、第八王朝・・・15人の王が在位
○第九王朝(前2133年頃〜)上エジプト北部ネン・ネスウの州侯ケティ一世 南北二王朝の並立
○第十一王朝 テーベ侯アンテフ一世 (+下ヌビアの資源+傭兵) →テーベ側の優位
第十一王朝第四代メンチュヘテプ二世により国土統一達成(前2040年頃)
「思想革命」・・・永遠とみなされた古王国の社会秩序の混乱→価値観の再検討
創造神に対する非難、厭世観、享楽主義→宇宙秩序(マアト)の社会正義を強調
秩序の回復とともに伝統的な思想が復活する。正統思想を補う傍流となる。
「葬祭の民主化」・・・ファラオの永生のための葬祭慣行が、万人に解放される。
◆中王国時代から第二中間期へ
メンチュヘテプ二世の国土再統一(前2040年頃〜)
中央集権国家の回復を図る⇔王の死後、性急な中央集権化に反撥が起きる
→地方豪族に担がれた宰相アメンエムハトのクーデター成功、
○第十二王朝(前1991−1786年頃)
中央集権国家の確立を目指す・・・灌漑水路の用水権を明文化、裁判官の任命を確保
・・・+王権に忠実な官僚の養成→対象:富裕な小人層(庶民)の子弟
→テキスト:教訓文学、世俗文学(『シヌヘの物語』など)、
王の登位を正当化する『ネフェルティの予言』など 以後の諸王に踏襲
王位継承の安定
・・・長子を共治王に指名→外政を担当。自分は内政。→以後、共治王の指名は第十二王朝の慣行
センウセルト一世、四代センウセルト二世、六代アメンエムハト三世・・・経済基盤を固める。
「行政改革」・・・五代センウセルト三世による、中央集権国家の確立。
「チェック・アンド・バランス」の原則・・・ある事項の決定に複数の部局が関与する・・・権力集中の阻止
→ 官僚組織の高度複雑化 → 最終決定権・・・宰相 ・・・ファラオに対してのみ責任を負う。
中央集権的官僚制度国家の完成・・・ファラオの支配力強固→50年以上にわたって全国を支配
→→短命な王の交代が続き、王権の失墜→国家組織の解体→○第十四王朝の並立(前1715年頃)
ヒクソス・・・この間に国境が開放されたために、デルタ東部に移住定着したバアル信仰のアジア系民族
新しい武器と軍事技術をもたらし、傭兵として君主に仕えた後、王位を奪取
→○第十五王朝(前1650−1542年頃)デルタ東部からパレスティナ南部。異民族支配。
各地に封じた諸侯に宗主権を行使
・・・有力な諸侯:○第十六王朝(ヒクソス系、デルタ西部)、○第十七王朝(土着、上エジプト)
→政治的にも文化的にも西アジアとの関係が緊密化。
相対的孤立にあったエジプトがオリエント世界と一体化するきっかけ。
○第十七王朝(前1650−1552年頃)
異民族支配からの開放、エジプト人による国土再統一→独立戦争→国土再統一→ヒクソス勢力の抹殺
◆第18王朝(前1552−1306年頃)・・・最後の繁栄期。新王国時代
アアフメス一世・・・エジプトの再統一(前1552年頃)
中央集権的統治機構の整備。軍事国家体制の原則維持。簡素で効率のよい官僚機構。
次王アメンヘテプ一世・・・内政整備。地方行政機構←王の任命
伝統的な王墓型式→→ピラミッドの建造断念→→王墓と葬祭殿を分離・・・以後の諸王踏襲
対アジア政策の基本方針・・・異民族による征服を恐れ、シリア・パレスティナの動勢に注目、先制攻撃。
戦利品→国家神アメンの神殿に寄進、カルナック神殿の増改築。(慣例化)
「王家の谷」・・・トトメス一世が、デル・エル=バハリの断崖の西側ワディ(涸れ谷)に開いた王墓地
造営に関係する職人、書記、その家族を隔離し、集落を創設する。
アメン神殿・・・王の葬祭殿。陪神として祀られた故王に対する祭祀→王への供養
ハトシェプスト・・・幼少なトトメス三世の共治者として権力を握った義母(「アメンの愛娘」)
アジア遠征の中止。採鉱・採石、交易の遠征隊を盛んに派遣。平和外交政策。芸術、国力充実
トトメス三世・・・アジア遠征を再開。対エジプト同盟粉砕。エジプト史上最大の版図を実現。
植民地支配体制・・・三属州(アムル、ウピ、アナン)に編成、直轄領とし、総督と守備隊が置かれた。
貢納と軍役提供の義務。都市国家の長子を人質。⇔大幅な自治の許可
ヒッタイト王国のシリア進出→エジプトとミタンニの対立緩和、同盟条約(アメンヘテプ二世治世後半)
シリア・パレスティナをめぐるオリエントの国際情勢が安定→勢力の均衡
◆「アマルナ革命」
外政の安定に代わって、国内で生まれた王権とアメン神官団の対立→トトメス四世の治世から明確化
国家神アメン・・・遠征の勝利と大帝国の建設←カルナック神殿への大規模な寄進と増改築
アメン神官団・・・ハトシェプスト女王の登位、トトメス三世の王位継承者としての選任に関与
王権(専制君主観)・・・伝統や慣例よりも王の意思がすべてに優先する
王・・・慣例に従った行動では対処できない、遠征や帝国の運営において臨機応変の対応をする資質を問われる。
→遠征の勝利、帝国の建設もファラオの力によってなされたという認識も高まる
「スフィンクス碑」・・・トトメス四世は、アメン神ではなく、太陽神の像と考えられていた
スフィンクスを召命した。
次王アメンヘテプ三世・・・太陽神アテンを信仰し、アメン神に対抗させた。
アメンヘテプ四世・・・新しい国家神として太陽神アテン→アメン神官団の存立基盤に打撃
アテン大神殿・・・カルナックのアメン大神殿の東側。砂岩材「タラタート」で完成を早める。
「アマルナ美術」・・・王の肉体の写実的な表現が美の規範
太陽神アテン・・・擬人化されたり神像として表現されない。日輪と光線で表現。
「アマルナ革命」・・・アテンのみを神とする新都建設→アケト・アテン(「アテンの地平線」の意)
王名の改名:アメンヘテプ(「アメン神は満足し給う」)→
アケナテン(アクエンアテン「アテン神にとって有用なる者」)
伝統的な神々(アメン神含)とその神官団に対する迫害
・・・アメン神の名前と図像の削除→アメン信仰の禁止、アメン神殿の閉鎖
アテン信仰・・・万物を創造し、被造物に対し惜しみなく恵み注ぐ太陽神を熱烈に崇拝。
異国の人々にも恵みを注ぐ→帝国にふさわしい普遍性
⇔他の信仰に対し不寛容、王だけが祭祀を行い公開しない・・・王の一元支配の貫徹
性急な改革が国内の混乱をもたらした
ヒッタイトの進出への有効な対抗措置を取れず植民地の動揺と喪失を招いた
次王ツタンカーメン王・・・アメン信仰復興に踏み切る。
革命の挫折→先制君主観の否定。伝統的な神と王の共存関係をあるべき姿とする。
ホルエムハブ・・・アメン神のみの優遇を避けようとする。経済力集中をおしとどめること不可。
◆ラメセス時代から末期王朝時代へ
新王国時代後半(第十九―第二十王朝)ラメセス時代・・・ラメセスの名を持つ王11人在位
第十九王朝(前1306−1186年頃)
第二代セティ一世、第三代ラメセス二世の外政・・・旧アムル州(ヒッタイト奪)の回復
セティ一世・・・アマルナ革命で閉鎖・破壊された神殿・神々の図像の復旧と修復
ラメセス二世・・・北シリアの要衝カデシュで、ヒッタイト王ムワタリの同盟軍と激突→奪回ならず
アッシリアの進出に対抗するため→ヒッタイトと同盟条約
・・・全土にわたって建築活動を展開。現存する遺構のほとんど全てに王の名
次王メルエンプタハ〜二十王朝二代ラメセス三世時代・・・「海の民」とリビア人の侵攻
「海の民」・・・海路をたどって移動してきた様々な民族からなる集団の総称→→ヒッタイト滅亡
ラメセス三世・・・「海の民」の侵攻を撃退。捕虜の一部は傭兵として仕え、軍事植民地を与えられた。
→国土防衛の軍事力をますます外人傭兵に頼るようになっていく。
内政破綻。官僚の不正の横行、物価騰貴、飢饉、リビア人の襲撃→王権の急速な衰退
○第二十王朝最後の王ラメセス十一世の治世半ば
アメン神をいただく神権国家が形成され、エジプトの南半分を支配。
末期王朝時代
○第二十一王朝(前1070−950年頃)・・・軍司令官、下エジプト摂政のスメンデスが、都タニスに開く
○第二十二王朝(前950−730年頃)・・・傭兵としてエジプトに定住したリビア人が開く。
○クシュ王国・・・エジプト征服(第二十五王朝)、アメン神権国家を支配←「アメンの聖妻」制度導入
前671年、664年、656年、三度エジプトはアッシリア軍に征服され、帝国の一部となる。
○第二十六王朝(前663−525年)・・・プサメティコス一世がアッシリアより独立。復古主義政策。
○第一ペルシア支配(第二十七王朝)・・・カンビュセス王のペルシア軍に敗れて、帝国の属国となる。
○第二十八王朝〜○第三十王朝・・・土着王朝
○第二ペルシア支配(第三十一王朝)・・・アレクサンドロス大王の東征軍
→王朝時代が終わり、ヘレニズム世界の一部となる。
前1200年頃のヒッタイト王国の滅亡→オリエント世界で鉄器が用いられる、「鉄器時代」入る
⇔エジプトは鉄資源を持たなかった・・・→衰退の一途をたどった。
→新王国の相対的孤立の放棄→統一と分裂というエジプト史固有のリズムが崩れた
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