学校教育で使う、読んで覚えるだけの教科書とは違い、博物館は、この授業の名前のとおり、視覚・聴覚に訴え体験しながら学ぶ場であることがわかった。いろいろな博物館があるけれども、近代的で経済的余裕のある博物館では、本物の展示物を見たり、レプリカに触ったり、ジオラマで大きな地形を把握したり、VRシネマなどの映像や、学芸員の説明や音声解説でより深い理解を得ることができ、大変重要な場所となっている。色・大きさ・形を見て、説明を聞くだけではなく、触って触感と重量を知ることは人々の感覚を刺激する。ガラス越しに本物を見せればそれでいいという時代は終わり、レプリカやジオラマ、ヴァーチャルなどで本物を体験してもらう博物館が増えつつある。展示ばかりでなく、ミュージアムグッズなどの博物館に行った記念やお土産 (博物館の経営費の一部でもある)にも様々なものがあり、博物館は学ぶことと同じくらい行楽性が高い施設でもある。それは、学生だけでなく、義務教育や一般的な教育を終えた社会人や障害をもつ人々にも興味を持って学んでもらうために、博物館の学芸員が多くの工夫を凝らしている結果である。また博物館は、館内や周辺に人々のもつ知的で美的なセンスを掻き立てるような文化的な芸術作品を設置しており、人間の文明と感性の偉大さを表象している場でもある。技術の面でも、博物館は情報公開の先端であり、これからも普及し続けるだろうウェブを使って、その存在を紹介している。多少文字が多く視覚的情報が少ないなどの欠点はあるものの、徐々に改善されてきている。
博物館の内装をグリッドパースで描いてみたり、教育プログラムとして絵巻で漫画などの二次的作品を作って紹介したりすることは、初めてのことで新鮮だったが、今までの博物館の観客という立場を変えて学芸員の視線に立って物事を考えられた。私は今年に入ってメディア論だけでなく、博物館学芸員資格取得の授業を多数取っているが、学芸員の視線に立つということは、観客の目線を考え、さらにいえば観客としての自分の姿を見つめなおすことになったと思う。自分が観客ならば各博物館のもつ趣向や主張をどのように汲み取って理解すればいいのかが次第にわかってきたように感じる。
学習プログラムを立てたり、館内の展示構造を考えたり、リーフレットを作ったりするほか、たくさんの雑用をしなければいけないことを博物館学の授業でも習ったが、雑用でも何でもこなせる、そしてクリエイティブな能力もある学芸員(雑芸員)をめざすべきである。学芸員になれなくても、他の仕事にしても同じ事で、独力で何でも出来る社会人になるよう努力するのがよい。
課題や作品の発表の時、皆が皆違うアイディアを持っていることに驚いた。この授業に取り組むまでは考えもしなかったこと、学芸員の視点からものを考えるということを今年からやり始めた素人の初心者たちが、今まで世に出ていなさそうなたくさんのアイディアを提案出来た。このことからも、現在の博物館にはもっと改良の余地があることがわかる。もしそのアイディアが失敗だとしても、試験していけばいくほど、人々の心をひきつけ楽しみながら博物館で学ぶ最良の手段を見つけ出していけると思う。
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