第一節では、王権理念とピラミッドがどのように結びついているかが書かれていた。
ピラミッドは王の埋葬と祭儀を目的とした葬祭記念建造物であり、古王国時代において、
ピラミッドの規模や質が王権と中央集権国家の盛衰を図る指標とされてきた。
王権は王に神聖を認める王権観である神王理念を支柱にする国家体制の要であり、
王の責務とはマアト(創造神の作り出した宇宙の秩序、調和)を維持し、王の神聖と正当性を
更新することだった。ピラミッド複合体は、王が神性を持つ人間から真の神へと神格化する
ための舞台であると同時に、現世における王の神性と支配の正統性を主張する役割を果たしていた。
著者は、時代によって大きさや形や複合体の構成が変わっていくピラミッドの変化の中に社会の
動向と、王権の脱聖化に抗った王権の政策が反映されていると考えている。
またピラミッドを建設するのに要する莫大な資源の調達や労働力の組織化は国家行政と不可分
だから、古王国時代のピラミッドとそれにまつわる経済・行政組織の研究をすることで、
ピラミッドを巡る政策の変化とその背後にある社会を検討し、王権理念を知り、社会の中の
ピラミッドの役割を考えることが出来ると述べている。
第二節では、ピラミッド複合体の構成要素の説明と、複合体の構成とピラミッド本体の規模や
質の変遷と背景について書かれていた。ピラミッド複合体の構成が徐々に確立されていった
第3王朝から第4王朝前半にかけては、葬祭用の施設であるとともに王の神性や全土に対する
支配を広く知らしめるために、ピラミッド複合体の建設それ自体と建造物の壮大さに大きな
意味があった。第4王朝に設立が始まる葬祭領地も、初期はフウトが多かったように、供物や
所属員の食糧の確保の他に、王の支配を全土に確立する手段としての性格を持っていた。
第4王朝後半以降になると、ピラミッドの規模や質が低下するが、これは王権や国家の弱体化を
直接反映するものではなく、ピラミッド複合体の機能の変化を意味していた。第4王朝前半
までに、巨大ピラミッドの建設の貢献もあって、ある程度官僚組織が整えられ、国土の支配が
着実に進展したため、もはや膨大な富と労力を費やして支配権を誇示するための巨大な建造物
を作る必要がなくなったのである。そして、葬祭殿や河岸神殿を拡大・複雑化させ、太陽神殿
を増設するなどして、葬祭儀礼を神の祭祀と結合させ維持し続けることが、王の神性と正統性
を主張する、より有効な手段として選択された。同時に、葬祭維持の基盤となる、供物供給を
するための葬祭関連領地とピラミッド都市が重要性を増していった。
第三節では、ピラミッド複合体を支えた領地と職員について述べている。
ピラミッドのために設けられた数多くの領地は、王の葬祭を支えるだけでなく、
王族や廷臣たちの葬祭にも供物を供給しており、王が神殿に寄進した土地も同様な役割を果たした。
その結果、神殿、ピラミッド、私人墓を結ぶ複雑な供物供給網が作り上げられていった。
しかし、第5王朝末以降次第にこの供物供給の仕組みは姿を消す。その最大の原因と見られるのが、
官僚機構の細分化と複雑化に伴う役人数の増大であり、彼らの現世と来世の生活を保証する義務
のある王権は、新たな対応を迫られることになった。役人の経済的窮乏への対策の一つとして、
ピラミッド都市の住民資格を表すケンティシュ称号の授与やピラミッド都市管理者への任命を
したと考えられる。これにより、ピラミッド都市住民にのみ与えられていた土地や供物が、
中央政府の高官や地方行政官にも解放された。この政策は王の権威を示す有効な手段としても
利用された。
第6王朝におけるこうした動きは、王権の正統性を主張するための過去の王たちの祭儀の
復興や、王と神々の関係の強化と同様、王の葬祭の重要性を高める政策の一環とみなすことが出来る。
しかし、多くの地方役人のケンティシュやピラミッド都市長官への任命は、政治的に地方役人の
権限を強める結果をもたらし、第6王朝の終焉以後、王権は急速に政治的な影響力を失って
いったと著者は述べている。
意見(感想)
エジプトといったらまず、いやでも目につく第一印象といったらピラミッドである。
あんなに巨大なピラミッドを作るには莫大な富や権力がいるはずだし、人間が作った物ならば
何よりも建設目的がないとならないだろう。ピラミッドは当時ピラミッドが必要とされた状況
に即した大きさ、形、構造、材質、建築技術でもって様々に建てられている。建設の大きな目的
は二つ、支配権誇示と王朝の正統性である。まだ、エジプトが統一されてから歴史が浅く、
王朝の支配が固まっていない時は、支配権を民衆に見せつけるために大きなピラミッドを
作らなければならなかった。その建造物の大きさこそが権威の象徴だからだ。しかし、第4王朝
後期になってくると王権の支配は確立し、これ以上ピラミッドの大きさで権力を誇示する
必要がなくなる。そうしたら今度は、他のいつの時代のどこの王朝とも同様に、王朝の正統性を
主張するようになる。ピラミッドの大きさが縮小し、質や技術が低下した代わりに、複合体内
に神々との関係を強化する神殿や過去の王の祭祀を行う神殿が多く出来たのは、そういった目的
の変化、すなわち時代ごとの王権の捉え方の変化にピラミッドが反映されているということで
ある。
王朝の正統性を主張するために、祭儀施設が増設され、供物供給網が整備されていき、
ピラミッド都市や葬祭関連領地が生まれる。ピラミッドのためだけに設けられた領地と
思いきや、王族や廷臣たちの葬祭にも供物が提供されていたこと、王都に置かれた何らかの
行政機構が王や王族の領地からの産物を集積し再分配する役割を果たしていたことを考えると、
私の想像以上に複雑な葬祭儀式の背景があったと驚くばかりだ。王権が確立し、
官僚機構が整備され、役人が急増すると、役人の収入源である所有地が減り、供物供給体制が
機能しなくなってくる。役人の経済状態の悪化と、それに対して生じる役人の不満と来世へ
の懸念を退けるために、王権が出した代替策ピラミッド都市関連職への任命は、一時的には
王の権威を示す有効な手段であったが、結果的に地方役人がピラミッド都市や領地に直接介入
するきっかけを与えてしまい、第6王朝末以後、王権への求心力を急速に衰えさせたとある。
ピラミッドの建造目的、目的の背景、王権の捉え方の変化、ピラミッドを作ったために変化
した状況、全てが上手く絡み合って、ピラミッドの姿や複合体の構成要素、ピラミッド都市・
供物供給領地、神官・ケンティシュなどの役職とその任命などに反映されていることが
わかった。今まで、ぶつ切れにして年代や地名や人の名前を覚えたりしていたものが、
この論文を読んで、―最初は各節ごとにばらばらの内容について語っていると思っていたが―、
口では上手く説明できないけれど川の流れのように繋がっていることを感じた。
これらの歴史の推測は、多少実際と違っていたとしても(勿論、莫大な量の史料を読んで
書かれたのであろうが)、つじつまのあうちゃんとした小説を読んでいるがごとく、
整然と流れているように思う。
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